5月28日、朝からはっきりとしない天気の中、東京龍馬会・第39回史跡探訪が予定通りに実施されました。『旧幕臣が夢の跡』と銘打った今回の史跡探訪。まずは、竹橋の「一橋邸跡」の石碑から「北の丸公園」を目指し、近年、幕末維新の石碑が次々と出来た「目白通り沿い」に脚を運んできました。
2006年5月28日(土)
前日から降り始めた雨が止むかどうか冷や冷やしていましたがインターネットの天気予報通り、集合時間には、雨が上がりました。
前回の花見同様、東京龍馬会のイベントは、天候には、恵まれています。みなさんの日頃の行いが良いのか、はたまた龍馬さんのなせる技なのか!
徳川慶喜屋敷跡 一橋邸跡
さて、今回は、地下鉄竹橋駅に集合後、一橋邸跡の見学です。
一ツ橋の地名の由来は、家康入府時に、大きな丸太橋を架けられたところからこの地名がつけられたそうです。また、一橋家の発祥は徳川八代将軍「徳川吉宗」の時に創られた御三卿の一つです。
幕末、最後の将軍「徳川慶喜」が一橋家から出ました。
とは、言っても、慶喜は、水戸徳川家の七男ですので、水戸家から一橋家へ養子に入っています。
徳川慶喜については、司馬遼太郎著の「最後の将軍」をお薦めします。慶喜も数奇な運命をたどりますが、「最後の将軍」を読むと、幕末の幕府側の様子がよくわかる小説でもあります。
白北川宮能久親王銅像
一橋邸跡から、竹橋を渡って白川能久(よしひさ)親王銅像を見学。この親王も数奇な人生です。公家でありながら、彰義隊に連ね上野戦争で、官軍と戦います。その後、仙台にて降服。明治2年に赦され、その後、陸軍に籍をおき近衛師団長にもなっています。
品川弥次郎像、大山巌像、大村益次郎像
清水門付近で、昼食をとり、品川弥次郎像、大山巌像、靖国神社の大村益次郎像と見学しました。私は、司馬遼太郎著「花神」の主人公大村益次郎こと村田蔵六も好きな幕末の人です。
話しは、脱線しますが、大阪出身の私は、益次郎が学んだ緒方洪庵の「適塾」、洪庵の墓の隣にある益次郎の足塚、益次郎終焉の碑(旧陸軍病院)なども探訪したことがあります。
適塾の近くには、福沢諭吉の生誕地もあります。
山田顕義像
最後に、山田顕義像を見学。山田顕義は、松下村塾出身で、防長四境戦争、箱館戦争、西南戦争で活躍しています。明治政府では、司法大臣を務め、最後は、教育に力を注ぎました。
最後に、説明をしてくださった菊池幹事にお礼申し上げます。今回は、手書きの資料でしたが、参加された方からは、無味乾燥なワープロの資料より、手書きの方が、暖かみがあると好評でした。
今回もいつものように、懇親会があり、多いに盛り上がりました。
レポート:小名泰裕